2013年3月25日月曜日

作曲は鳥のごとく

 
 
 
 
 
先日春秋社より発売されたばかりの、吉松 隆:著 「作曲は鳥のごとく」読み終えました。
 
何度も涙ポロポロ・・・の状態になりました。
 
 
2000年に吉松作品に出逢ってから、13年。
その間、演奏活動の大半は、一途に吉松作品の演奏に力を注いで来た日々でもありました。
これからもそうだと思います。
(まあ、関西中心の活動なので、地味にコソコソと好きな事をしているのですが・・・。)
 
 
他の作曲家の作品も、もっと弾けば?と言われる事もありますが、こんなに一途になれるピアニストは他にはいないのでは?と思ったりもします。
 
自分の人生=吉松作品
吉松作品を弾く為に、この世に生まれ、小さい頃からピアノを練習してきたのだろうかと思う事も多々あります。
 
それくらい、自分の感性(求める音楽)と作品が同化しているのだろうと思います。
 
「アトム・ハーツ・クラブ」と「ヴィネット」の2枚のCDをこの世に残す事が出来て、もう思い残す事はありません。
 
 
でも、一つの夢が叶うと、また貪欲になってしまうのですね。
 
吉松作品集第3段!のアルバムを作りたいと思う今日この頃。
 
こんなピアニストが1人くらいいても、面白いでしょう。
 
 
「作曲は鳥のごとく」より
 
~何しろ、音楽が音楽である事を恐れている暇などありはしないのだ。
音楽は「すべて」でなければならないし、音楽は自分の内にあるありったけの性格や欲望や感情を注ぎ込めるものでなければならない。
そうでなければ、なぜ人は音楽などというものに生涯を賭けられるのか?
第一、そうでなければ一体なぜ音楽などというものがこの世にあるのか?